冠詞(特にlo)の内外数量詞の意味が変わってきてるんですね、
というかloの意味が違ってきている。
参考サイト:BPFK Section: gadri
※ちなみにgadriは冠詞という意味です
lo の意味するところは、generic ― 総称的 ということですね。
でもこれ日本語話者なら、loを「単なるsumti化演算子」と見てやったほうが分かりやすいかなと。
「犬は動物だ。」 の「犬」は単なる名詞ではあるわけですが、
意味合いとしては総称「犬というのは」であります。
訳語としてはfit ― ~というようなもの ― lo gerku は「犬というもの」になります。
一方でleはspecific ― 特定的 と以前と意味は変わらず、
訳語としては scribe as ― ~と記述されるようなもの/~と(話者が)思っているもの であり、
自然な日本語としては「その~」です。
ここに、さっきのloを単なるsumti化演算子と見てやるほうが分かりやすいというのがあります。
日本語だとspecificでない限り、冠詞(っぽいもの)をつけないわけですよ。
(強いて言えば「とある」とかつけますけれど、またニュアンスが違ってきますよね?)
結局、loは「訳さない」のが適当な気がします。
これが一般的な自然言語だと「訳さないとはどういうことだ」と違和感があるように思えますが、
ロジバンにはそもそも訳さない語なんてざらにあるわけで(終端子とか)、
loがいまさら「訳さないほうがいい」と言われたところで、その論はすんなり入るはずです。
それこそ、冠詞という固定観念を拭いさるべきでして、最終的に
leやlo(LE類)はbrivlaをsumti化する演算子であり、その際に付加される意味合いによって使い分けが行われる。loは最も「ピュア」な演算子であり、そこに何の意味合いもこめず、ただsumti化するのみである。leは「主観的」な演算子であり、そこに「自分がそう思うような/そう(私が)記述するに十分な」という意味合いを込める。くらいのほうがキレイな気がするわけです。
P.S
あと、LE類によってsumti化されるのは、brivlaなのか、selbriなのか…?
selbriってのは主文の述部を言うんじゃないのか?ここらも少し曖昧でござる。
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LE, LA | |||||
lo [PA] broda | brodaであるような[PA個の]もの | ||||
le [PA] broda | 私がbrodaらしさを表現するような[PA個の]もの | ||||
la [PA] broda | 私が『broda』という名で呼ぶ[PA個の]もの | ||||
lo PA sumti | sumtiのひとつであるようなPA個のもの | ||||
le PA sumti | 私がsumtiらしさを表現するようなPA個のもの | ||||
la PA sumti | 私が『PA sumti』という名で呼ぶPA個のもの | ||||
loi [PA] broda | brodaであるような[PA個の]ものからなる群 | ||||
lei [PA] broda | 私がbrodaらしさを表現するような[PA個の]ものからなる群 | ||||
lai [PA] broda | 私が『[PA] broda』という名で呼ぶ[PA個の]ものからなる群 | ||||
loi PA sumti | sumtiのひとつであるようなPA個のものからなる群 | ||||
lei PA sumti | 私がsumtiらしさを表現するようなPA個のものからなる群 | ||||
lai PA sumti | 私が『PA sumti』という名で呼ぶPA個のものからなる群 | ||||
lo'i [PA] broda | brodaであるような[PA個の]集合 | ||||
le'i [PA] broda | 私がbrodaらしさを表現するような[PA個の]集合 | ||||
la'i [PA] broda | 私が『broda』という名で呼ぶ[PA個の]集合 | ||||
lo'i PA sumti | sumtiのひとつであるようなPA個のものからなる集合 | ||||
le'i PA sumti | 私がsumtiらしさを表現するようなPA個のものからなる集合 | ||||
la'i PA sumti | 私が『broda』という名で呼ぶPA個のものからなる集合 |