2013年12月1日日曜日

最近思っていたことを散らかす

おそらくほとんどがはじロジ関連。

1. 文字
Normanさんが考案した8マス文字をとりあえず{.bikur}と呼ぶことにして、ポン太さん考案の俺調整のあの文字を{.pontcos}と呼ぶことにする。
一応形はできたけど、母音が割と煩雑で、うーん、これは使えないような気がするなあとか。
まあ、βテストに入りました!

2. タグとかの相互作用
bridi演算子というナイスな概念を見つけたので、それで一気にまとめるのがよさそうだ。BAI、テンス、存在変項(da)、論理接続詞というのはすべてbridi演算子で、論理接続詞以外はすべて一項演算子である。これらは結局、名辞として冠頭における。逆に、これら一項bridi演算子というのは、冠頭に置いてbridiを修飾するものとして定義できる。すなわち、{mi cinba mu'i lonu mi prami do}は、{mu'i lonu mi prami do kei zo'u mi cinba}「私があなたを愛するという事象を動機として、以下の命題が成り立つ: 私はキスをする。」の構文糖衣と定義する。こうすると個人的にはキレイだなと思う。

「~だから~でない」と「~だからといって~でない」というのも、「~だから」はほとんどすべての場合で名辞で表されるわけで、一度冠頭に置いて、{naku}との順の兼ね合いで理解すればよい。

guskantさんによれば、{ije}と{.i}の違いは、冠頭が存在するときに現れるらしいが、これは恐らくPEGをみたら良さそうだ。{mu'i lonu mi prami do zo'u mi cinba do .ije mi pamjai do}のときは、mu'i句は{mi cinba do}と{mi pamjai do}の両方に係るが、{mu'i lonu mi prami do zo'u mi cinba do .i mi pamjai do} とした場合は、つまり、{ije}でなく{i}にした場合は前者のみに係るそうだ。ちなみに、{ije}を使っても{zo'u}がなければ前者のみに係るそう。これもおそらくPEGで判明する。

名辞についての記述が割と少ないので、はじロジでもちゃんとしたことが書けないなあという感じ。

3. PS
PSは「文の枠組み」という説明もありだけど、述なれ語は「一枚の絵」であるという説明をはじロジのどこかでしたい。ある概念を表す絵、情景があって、それの要素に順番に番号を振る感じ。それがPSにほかならない。たとえば、これはツイッターのとある方が描いていたのだけれど、{dunda}という語がもつ概念を絵で表すとこんな感じで、それに番号を振っている。番号の振り方はロジバン委員会で決められるが、dundaでは「与える人」に1を、「与えられる物」に2を、「受け取る人」に3が振られている。bajraやvecnuに関しても同様。このことから分かることは、SE類やFA類による項の並べ替えは構文上のことにとどまって、なんの意味も変えないということである。結局、私たちはselbriの表す「絵」に番号を振っているだけであり、その付番の仕方を変えたところで、見える景色は何も変わらない。


もちろん、この教え方には限界がきて、「抽象概念」はどうするんだ、ということになります。そうなるとまあ難しいところですが、初期の頃はほとんどこれで済むと思うし、この説明の単純明快さはなかなかいいと思う。

そして、brivlaに動詞や形容詞や名詞といった従来の品詞がないのもこれに起因していて、dundaが名詞的にも形容詞的にも動詞的にも機能するのは、結局「その絵をどう見るか」という話になるわけです。「その絵をどうみるか」というのは意味の曖昧さにも繋がってきますが、ロジバンはgismuにおいて、「絵」だけを提示していて、その絵から何を読み取れ、ということは言っていないように思います。付番された絵、をどのように感じるかは人それぞれで、矛盾が生じない限り、そこから引き出された意味はおそらく永久に変えられることはないと思います。ここらへんはなんかウィトゲンシュタインあたりを彷彿とさせますね。


4. jo'u の意味
jointly というのが謎だ!

5. TeXとロジバン
ロジバンのmeksoでTeX書けそうと少し思ったんだけど、誰か実装してるかな?

6. 学習容易性と言語の中立性
連想ゲームとして、これらは自由エネルギーの式を考えさせる。
ΔF = ΔE - T ΔS
理想としては学習容易性が高い、すなわち学習においての労力がいらないほうがよく、さらに言語の中立性が高い (これは結局、その言語がどの言語からも独立しているという意味で乱雑さを持っているということだろう)ほうがいいわけですが、学習容易性は必ず文化的側面からの寄与をもっているので、言語中立性、すなわちその言語の乱雑さが高まれば高まるほど、その文化的側面からの寄与が下がり、結果、学習容易性も下がらざるをえません。結果的に、これら2つは拮抗している。平衡状態では、ΔF=0であることを考えれば、 学習容易性の変化と、言語の中立性の変化は依存しています。学習容易性を下げるには、相応の中立性の排除が必須であり、中立性の確立には学習難易度を上げなければならない。まあ、当たり前の結果です。

個人的には、この等式が成り立つとして、言語にとっての温度とはなんだろうというのが興味深いですが。

7. 発音
はじロジの発音の章をなんとかしなければ。IPAを消すか、すべてIPAを盛り込むか…。どっちのがいいんだろう。

8. lujvoの作り方
はじロジに載せないとなあ…。cogyxek uitkiには要論を書いたので、それをうまあく、はじロジ用にまとめなおさないと。

9. fu'ivla
これも、まず僕が勉強しないといけないんだよおう。

10. はじロジの書き残し
色々まだまだ残ってるから書かないと…。



割と多かった。