LFB概論が一応できました!結構頑張ったと思うねん。
pdfをどうやって上げようか、思案中
2013年2月18日月曜日
2013年2月14日木曜日
2013年1月3日木曜日
冠詞の範囲とベン図
LFB4章で冠詞が出てきます。
冠詞が実に論理的であるから、英語の冠詞とはまた違った悩みが出てくるわけです。
そこで色々考えましたが、冠詞は集合の話をしているわけですから、
ベン図を用いればいささか分かりやすくなるかなと思った次第です。
今回扱うのは4章に出てくる le lo lei loi lu'o のみに絞ります。
※以下で使うベン図について、
全体集合は四角枠
部分集合は丸枠
該当する集合の範囲の部分は薄い赤で塗りつぶし
話題にする要素は黄色の三角
語彙として
nanmu 男 のみ使います。
まず冠詞(とそれに付随する数字)は次のことを提示します。
①集合の範囲
②その集合の要素数情報
③話題にする要素数
④群か否か
順に簡単に説明します。
①集合の範囲
この世にはたくさんの男がいるわけですが、必ずしも全男性を対象にすることはないわけです。
・その(事務所にいる)男たち
・その(私の友達の)男たち
・その(ダンスパーティーにきている)男たち
等々…
我々はあるモノについて話をするとき、
「あるグループのうちのあるモノ」について話すことが多々あるわけです。
さらに言えばその「グループ分け」は実に「自分の心の中で」規定されているわけです。
一方で、もちろん、実存する全男性について語ることだってあります。
例えば、解剖生理学の話になって「男には精巣がついており云々…」
というときの「男」はもちろん実在する全男性について述べています。
loやloi はそういった「実存する全男性について」という集合の範囲を提示します。
一方、
leやleiは「ある絞られた」集合の範囲(その男たち)を提示します。
もちろん「その男たち」がどの男たちなのかは「話し手の想定する」男たちです。
聞き手はその男たちが一体誰であるかを類推する必要があるのは日本語と同じです。
②その集合の要素数情報
これは必ずしも規定する必要はありません。単なる「補足」です。
loやloiに関しては、集合範囲として全体集合を提示するわけですから
補足なくてもそれがどのくらいの要素を含んでいるのかは(少なくともググれば)自明です。
問題は、leやleiを使うときで、これらが提示する集合範囲は「話し手の心中」にあります。
ここで、その集合の要素数を補足する意義は大いにありましょう。
これは次の構造で示されます:
冠詞 + 集合要素数 + gismu
例を挙げたほうが分かりやすいだろう:
イはおかしいです。この世界に実存する男全員は決して1000人ではないからです。
一方でロは全く妥当です。ある絞られた集合には25人の男性がいることを「補足」しています。
lo 1000 nanmu
le 25 nanmu
(Nは要素数)
③話題にする要素数
集合範囲を提示しても、その集合の要素全体について話す義務はまったくありません。
その10人の男のうち3人
のように言いたいことは往々にしてあります。もしくは、単に
その男のうち5人
と、集合の要素数を補足せずに言う事だってあります。
このような話題にしたい要素の数のことをここでは「話題数」と呼ぶことにします。
さて、これは次の構造で表せます:
話題数 + 冠詞 + 集合要素数 + gismu
なお、話題要素数を書かなかったときについて…。
lo → 少なくとも1人が~~(数学の∃)を意味する。
le → その集合範囲全員が~~(数学の∀)を意味する。
一応例を挙げておきます:
④群か否か
さて、「個々(individual)」か「まとまり(mass)」について考えましょう。
「個々でその活動を行う」というのは実に簡単です。たとえば、
le 2 nanmu はピアノを運ぶ。
といったとき、
ある絞られた範囲(2人)の全員がピアノを運ぶ。
という意味になります。
つまり、二人ともピアノを運ぶという行為をしない限り、上の文は真になりません。
2 lo nanmu はピアノを運ぶ。
も同様で、全世界の男のうち、2人がピアノを運ぶという行為をする。という意味です。
「個々(individual)」とは、「その話題要素それぞれがその行為をする」ことを意味します。
さらに、lo、le は「個々」を提示します。
問題は「まとまり・群(mass)」です。最初に言っておくと、loi、leiが「まとまり」を提示します。
何がまとまりを提示するかは覚えれば済む話ですので、
「まとまりが行為をする」とはどういうことかを考えることの方が大事です。
lei 2 nanmu はピアノを運ぶ。
というのは、一体どういう状態でしょう。
「ある絞られた範囲(2人)が”まとまり”となってピアノを運ぶ」と訳せばいいのですが、
この”まとまり”となって、というところにもしかすると少しギャップがあるかもしれません。
「”まとまり”がコトを為すためには、”まとまり”のうち誰か一人でもその行為に及べばよい」
という、主張を素直に飲み込めたらもう何も言う事はないです。
例を出してみましょう。
我々はあるボランティア団体を立ち上げ、そのメンバーであります。
活動として、「街の清掃」にくりだしたとします。
しかし、団員の中には風邪で欠席する人もちらほらいました。
ですが、ともあれ街の清掃は無事完了。めでたしめでたし。
これをブログでこう書こう:
今日は、我々ボランティア団体で街の清掃をしました。
風邪で休んだ団員がいようがいまいが、「ボランティア団体」という”まとまり”は、街の清掃をやり遂げたのです。
…たとえインフルエンザが大流行して、参加者が1人であったとしても…!
では、この「ボランティア団体」がピアノを運ぶときも、
その団体の1人でもピアノを運べば、この”まとまり”はピアノを運んだことになります。
---
以上のことから察せれる通り、”まとまり”が行為を行ったことになる条件は緩いです。
α:le nanmu ピアノを運ぶ
β:lei nanmu ピアノを運ぶ
の二つがあって、どちらも同じ絞られた集合を指しているとしましょう。
αが真であれば、βも真です。
βが真であっても、αが真とは限りません。
では最後に、
「その5人の男のうち3人を”まとまり”とみなし、そのまとまりはピアノを運んだ。」
をどう書けばいいか、ですが、
「その5人の男のうち3人」というのは 3 le 5 nanmu とかけます。
「まとまり」を示すためにはそれを「グルーピング」するという演算子、lu'o をつければよい。
つまり、
lu'o 3 le 5 nanmu はピアノを運んだ。
とすればよいわけです。
ここで、 3 lei 5 nanmu としてはいけません。これは
「ある絞られた集合(要素は5つある)の中で構成される3つのまとまり」という意味になってしまいます。この表現をいつ使うかは置いておくとして…。
------
おさらいします。
まず冠詞が「話題とする集合の範囲」を提示。
次に、集合要素数(冠詞のあとに来る数字)が「その集合の要素数」を補足。
最後に、話題数(冠詞の前にくる数字)が「その集合で話題にする個(群)の数」を提示。
ここに書くと冗長になるので、次に書きますが、例となるリストをまた載せます。
さて、これでlo loi le lei についての説明を終えたいと思います。
字だけで理解するよりかはまだ分かりやすいかなと思います。また修正する可能性はあります。
冠詞が実に論理的であるから、英語の冠詞とはまた違った悩みが出てくるわけです。
そこで色々考えましたが、冠詞は集合の話をしているわけですから、
ベン図を用いればいささか分かりやすくなるかなと思った次第です。
今回扱うのは4章に出てくる le lo lei loi lu'o のみに絞ります。
※以下で使うベン図について、
全体集合は四角枠
部分集合は丸枠
該当する集合の範囲の部分は薄い赤で塗りつぶし
話題にする要素は黄色の三角
語彙として
nanmu 男 のみ使います。
まず冠詞(とそれに付随する数字)は次のことを提示します。
①集合の範囲
②その集合の要素数情報
③話題にする要素数
④群か否か
順に簡単に説明します。
①集合の範囲
この世にはたくさんの男がいるわけですが、必ずしも全男性を対象にすることはないわけです。
・その(事務所にいる)男たち
・その(私の友達の)男たち
・その(ダンスパーティーにきている)男たち
等々…
我々はあるモノについて話をするとき、
「あるグループのうちのあるモノ」について話すことが多々あるわけです。
さらに言えばその「グループ分け」は実に「自分の心の中で」規定されているわけです。
一方で、もちろん、実存する全男性について語ることだってあります。
例えば、解剖生理学の話になって「男には精巣がついており云々…」
というときの「男」はもちろん実在する全男性について述べています。
loやloi はそういった「実存する全男性について」という集合の範囲を提示します。
一方、
leやleiは「ある絞られた」集合の範囲(その男たち)を提示します。
もちろん「その男たち」がどの男たちなのかは「話し手の想定する」男たちです。
聞き手はその男たちが一体誰であるかを類推する必要があるのは日本語と同じです。
②その集合の要素数情報
これは必ずしも規定する必要はありません。単なる「補足」です。
loやloiに関しては、集合範囲として全体集合を提示するわけですから
補足なくてもそれがどのくらいの要素を含んでいるのかは(少なくともググれば)自明です。
問題は、leやleiを使うときで、これらが提示する集合範囲は「話し手の心中」にあります。
ここで、その集合の要素数を補足する意義は大いにありましょう。
これは次の構造で示されます:
冠詞 + 集合要素数 + gismu
例を挙げたほうが分かりやすいだろう:
イ. lo 1000 nanmu …「男の全体集合」を提示し、さらにその集合の要素数は1000である。
ロ. le 25 nanmu …「ある絞られた集合」を提示し、さらにその集合の要素数は25である。
イはおかしいです。この世界に実存する男全員は決して1000人ではないからです。
一方でロは全く妥当です。ある絞られた集合には25人の男性がいることを「補足」しています。
lo 1000 nanmu
le 25 nanmu
(Nは要素数)
③話題にする要素数
集合範囲を提示しても、その集合の要素全体について話す義務はまったくありません。
その10人の男のうち3人
のように言いたいことは往々にしてあります。もしくは、単に
その男のうち5人
と、集合の要素数を補足せずに言う事だってあります。
このような話題にしたい要素の数のことをここでは「話題数」と呼ぶことにします。
さて、これは次の構造で表せます:
話題数 + 冠詞 + 集合要素数 + gismu
なお、話題要素数を書かなかったときについて…。
lo → 少なくとも1人が~~(数学の∃)を意味する。
le → その集合範囲全員が~~(数学の∀)を意味する。
あとで読み返してきてくれたら幸いなのですが、話題数は必ずしも「要素」を指すとは限らないのです。たとえば、2 lei nanmu は「その絞られた集合の男たちの群が2つ」となります。集合要素数と言ったのに話題要素数と言わなかった所以がここにあります。
一応例を挙げておきます:
ハ、 5 lo nanmu …男の全体集合を提示し、その集合のうち5人を話題にする。
ニ、 5 le 25 nanmu …ある絞られた集合を提示し、その集合要素数は25人で、そのうち5人を話題にする。
④群か否か
さて、「個々(individual)」か「まとまり(mass)」について考えましょう。
「個々でその活動を行う」というのは実に簡単です。たとえば、
le 2 nanmu はピアノを運ぶ。
といったとき、
ある絞られた範囲(2人)の全員がピアノを運ぶ。
という意味になります。
つまり、二人ともピアノを運ぶという行為をしない限り、上の文は真になりません。
2 lo nanmu はピアノを運ぶ。
も同様で、全世界の男のうち、2人がピアノを運ぶという行為をする。という意味です。
「個々(individual)」とは、「その話題要素それぞれがその行為をする」ことを意味します。
さらに、lo、le は「個々」を提示します。
問題は「まとまり・群(mass)」です。最初に言っておくと、loi、leiが「まとまり」を提示します。
何がまとまりを提示するかは覚えれば済む話ですので、
「まとまりが行為をする」とはどういうことかを考えることの方が大事です。
lei 2 nanmu はピアノを運ぶ。
というのは、一体どういう状態でしょう。
「ある絞られた範囲(2人)が”まとまり”となってピアノを運ぶ」と訳せばいいのですが、
この”まとまり”となって、というところにもしかすると少しギャップがあるかもしれません。
「”まとまり”がコトを為すためには、”まとまり”のうち誰か一人でもその行為に及べばよい」
という、主張を素直に飲み込めたらもう何も言う事はないです。
例を出してみましょう。
我々はあるボランティア団体を立ち上げ、そのメンバーであります。
活動として、「街の清掃」にくりだしたとします。
しかし、団員の中には風邪で欠席する人もちらほらいました。
ですが、ともあれ街の清掃は無事完了。めでたしめでたし。
これをブログでこう書こう:
今日は、我々ボランティア団体で街の清掃をしました。
風邪で休んだ団員がいようがいまいが、「ボランティア団体」という”まとまり”は、街の清掃をやり遂げたのです。
…たとえインフルエンザが大流行して、参加者が1人であったとしても…!
では、この「ボランティア団体」がピアノを運ぶときも、
その団体の1人でもピアノを運べば、この”まとまり”はピアノを運んだことになります。
---
以上のことから察せれる通り、”まとまり”が行為を行ったことになる条件は緩いです。
α:le nanmu ピアノを運ぶ
β:lei nanmu ピアノを運ぶ
の二つがあって、どちらも同じ絞られた集合を指しているとしましょう。
αが真であれば、βも真です。
βが真であっても、αが真とは限りません。
では最後に、
「その5人の男のうち3人を”まとまり”とみなし、そのまとまりはピアノを運んだ。」
をどう書けばいいか、ですが、
「その5人の男のうち3人」というのは 3 le 5 nanmu とかけます。
「まとまり」を示すためにはそれを「グルーピング」するという演算子、lu'o をつければよい。
つまり、
lu'o 3 le 5 nanmu はピアノを運んだ。
とすればよいわけです。
ここで、 3 lei 5 nanmu としてはいけません。これは
「ある絞られた集合(要素は5つある)の中で構成される3つのまとまり」という意味になってしまいます。この表現をいつ使うかは置いておくとして…。
------
おさらいします。
まず冠詞が「話題とする集合の範囲」を提示。
次に、集合要素数(冠詞のあとに来る数字)が「その集合の要素数」を補足。
最後に、話題数(冠詞の前にくる数字)が「その集合で話題にする個(群)の数」を提示。
ここに書くと冗長になるので、次に書きますが、例となるリストをまた載せます。
さて、これでlo loi le lei についての説明を終えたいと思います。
字だけで理解するよりかはまだ分かりやすいかなと思います。また修正する可能性はあります。
あけおめ と 所有形
今年もまちまちと更新しようと思っております。
とりあえず粗方自由にロジバンを使ってものをかけるまで成長したい。
やはり語学の難所は語彙暗記ですね。これだけはなんともしがたい・・・w
頑張って覚えることにします。
さて前の記事でbridiとその構成要素の話をしました。
さて、3章で出てくる所有形のお話(追記?)
pe po po'eの三種が出てきます。
そこまで難しい区別ではないですが、イラストにしたほうがわかりよいと思ったので。
関係性・・・そのままの意味で二つのモノの間になんらかの繋がりがある。
独自性・・・所有者がその他に存在しないという「独自の」繋がりを示す。
譲渡不可能性・・・定義上、誰かに譲ったりすることのできない関係を示す。
peは実のところは所有関係を表すのでなく、二つの繋がりを提示するにすぎませんが、
文脈により、大体はpeによって所有関係を示すことができます。
大事なのは、peはpoとpo'eを内包しているということです。
poとpo'eは、「独自性・譲渡不可能性を強調したいとき」のみ使えばいいわけです。
例えば、友達に「これは誰のペン?」と聞かれたときにはpeを使えば事足ります。
しかし、勝手にペンを使われたときにはpoを使って自分独自のものだと言えばよいわけです。
とりあえず粗方自由にロジバンを使ってものをかけるまで成長したい。
やはり語学の難所は語彙暗記ですね。これだけはなんともしがたい・・・w
頑張って覚えることにします。
さて前の記事でbridiとその構成要素の話をしました。
さて、3章で出てくる所有形のお話(追記?)
pe po po'eの三種が出てきます。
そこまで難しい区別ではないですが、イラストにしたほうがわかりよいと思ったので。
関係性・・・そのままの意味で二つのモノの間になんらかの繋がりがある。
独自性・・・所有者がその他に存在しないという「独自の」繋がりを示す。
譲渡不可能性・・・定義上、誰かに譲ったりすることのできない関係を示す。
peは実のところは所有関係を表すのでなく、二つの繋がりを提示するにすぎませんが、
文脈により、大体はpeによって所有関係を示すことができます。
大事なのは、peはpoとpo'eを内包しているということです。
poとpo'eは、「独自性・譲渡不可能性を強調したいとき」のみ使えばいいわけです。
例えば、友達に「これは誰のペン?」と聞かれたときにはpeを使えば事足ります。
しかし、勝手にペンを使われたときにはpoを使って自分独自のものだと言えばよいわけです。
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